General Museum│Exhibition

コラージュ、カムフラージュ

Collage, Camouflage
2022.6.27 – 7.18
  • アイビー│Ivy
  • 関東造盆地運動│Kanto basin-forming movement
  • シマウマ│Zebra
  • ジョルジュ・ブラック│Georges Braque
  • パブロ・ピカソ│Pablo Picasso
  • 葉潜り蝿│Agromyzidae
  • 迷彩│Military camouflage
  • ほか│etc.

ジェネラル・ミュージアムのコレクション展「コラージュ、カムフラージュ」は郊外の森の中で「dis/cover」と同時開催される展覧会です。20世紀初頭にパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックが開発した技法「コラージュ」とその影響下に軍事技術として実用化されていった「カムフラージュ」を展示します。自然環境に置かれることでコラージュやカムフラージュの開かれた空間性が明らかになるでしょう。


地表では様々な堆積物が降り注ぎ、様々な植物が太陽光を求めて上層を占有しようと争っている。そうした地表を覆い隠して建築物は作られる。
一方、ブラックやピカソのコラージュ作品において、支持体の上に貼られる紙はその下層を覆い隠す表面ではない。反対に、貼られた紙は絵の下層にある支持体と呼応し、それを意識の表層にのぼらせる。さらに木目の印刷物は、紙を覆い隠すと同時に、木などの植物繊維からなる紙の物質的由来を明示する。支持体の紙、貼られた紙、描かれたテーブル、描かれた静物といった要素は表層を一様に占有するのではなく、相互に貫入しながら多層的な空間を顕在化させるのだ。そうしたキュビスムの方法は、カムフラージュへと応用されていった。人や船の表面を覆うパターンは、その輪郭像を解体し、背景環境へ連続させる。そうしたカムフラージュは、環境を塗りつぶす表面ではなく、自身のイメージを解体することで多層的な自然と共鳴する表面を持つ。そして観客もまた能動的な探索者としてその環境に導かれる。


Section 01 【コラージュ:開かれた表象システム】


1912年、キュビスムの画家ジョルジュ・ブラック(1882 – 1963)は、紙に描かれた絵の上に木目模様が印刷された紙を貼り付けました。「コラージュ」と呼ばれるその技法は、現実の物質を持ち込むことで絵の中の表象世界に亀裂を生じさせる行為でもありました。一般に、紙や布に絵を描いたり印刷したりすることは、表象された空間によって布や紙などの物質を覆い隠すことだと言えます。しかし、ブラックの絵の上に貼り付けられた木目模様の紙は、絵を覆い隠す一方で、支持体の(木などの植物繊維から作られた)紙を表面化させる効果を持っています。コラージュの表面は、隠す/明かすという両義性を持っているのです。そこでは、表象されたテーブルの表面と物理的なタブローの表面がどちらも隠蔽されることなく同時に存在しています。コラージュの表象空間は外の現実空間に開かれていると言えます。

同時期に、パブロ・ピカソ(1881 – 1973)も絵にさまざまな印刷物を貼り付ける試みを行いました。ピカソのコラージュでは大量に複製された印刷物と絵が複雑な関係を結んでいます。印刷された絵《『La Tribuna』紙のためのイラスト》、印刷物を描いた絵《新聞紙を読む人》、印刷物に描いた絵《バイオリニスト》、絵に貼られた印刷物《テーブル上のボトル》、切り抜かれた印刷物《テーブル上のボトル》、印刷された写真を変形させる絵《『Paris – soir』紙のドローイング》など、そこではさまざまな表象の次元が重なり合っています。ピカソのコラージュは単なる現実の表象イメージではなく、新聞に表象された既存の現実のイメージに介入し、多義化させる作用を持っています。今回の展示では、そうしたコラージュの写真を印刷したものを額縁も建物もない現実の森に展示しています。そうした環境に置くことで、コラージュが本来持っていた開放性と重層性がより強く現れてくるのではないでしょうか。

《グラス、ボトルと新聞》
Maker: ジョルジュ・ブラック

《果物皿とグラス》
Maker: ジョルジュ・ブラック

《グラスとタバコ》
Maker: ジョルジュ・ブラック

《グラスと手紙のある静物》
Maker: ジョルジュ・ブラック

《『La Tribuna』紙のためのイラスト》
Maker: パブロ・ピカソ

《新聞紙を読む人》
Maker: パブロ・ピカソ

《バイオリニスト》
Maker: パブロ・ピカソ

《テーブル上のボトル》
Maker: パブロ・ピカソ

《テーブル上のボトル》
Maker: パブロ・ピカソ

《『Paris – soir』紙のドローイング》
Maker: パブロ・ピカソ

《夢》
Maker: パブロ・ピカソ

《『Picasso working on paper』の129頁》
Maker: アン・バルダッサリ/パブロ・ピカソ

《抱擁》
Maker: パブロ・ピカソ

《手書きの詩》
Maker: パブロ・ピカソ

《『Picasso working on paper』の171頁》
Maker: アン・バルダッサリ/パブロ・ピカソ


Section 02 【アートとミリタリーカムフラージュ:テリトリーをめぐる視覚と暴力の争い】

「通りを下ると全く偶然に大きな大砲に出くわした。その塗装で私たちはカムフラージュというものを初めて見た。ピカソは立ち止まって見入っていた。「C’est nous qui avons fait ça,(これを作ったのは私たちだ)」と彼は言った。正当な主張だった。それはセザンヌからピカソを経由して生まれたものだ。彼の先見性が正当化されたのだ。」 ガートルード・スタイン『アリス・B・トクラスの自伝』

近代絵画とカムフラージュの関係は、芸術の純粋性と応用性、造形性と社会性の交差を考察する焦点のひとつとして研究されてきました。列強国がテリトリーを争った第一次世界大戦の時期、カムフラージュは大きく発展し、普及します。そこには画家たちの貢献がありました。
迷彩の発明者のひとりとされる画家ルイ・ギンゴット(1864 – 1948)は1914年に友人ウジェーヌ・コルビン(1867 – 1952)とともに《ヒョウのジャケット》(1914)を製作します。軍には採用されませんでしたが、それはミリタリーカムフラージュの最も早い事例となりました。1915年2月には、フランス軍にカモフラージュ部門が創設され、指揮官となった画家ルシアン=ヴィクトール・ギラン・ド・セヴォラ(1871-1950)をはじめ多くの画家たちがそこに所属しました。「対象の外観をトータルに変形させるために、キュビズムが対象を再現するやり方を採用しなければなりませんでした。」とド・セヴォラは晩年、キュビスムとカムフラージュとの関連性について言及しています。そのカモフラージュ部門には、アンドレ・マーレ(1885 – 1932)やジャック・ヴィヨン(1875 – 1963)といったキュビスムを志向する画家も参加しました。マーレのスケッチブックに描かれた《カムフラージュされた280mm砲》には、まとまりのある対象を解体、再構成するキュビスムとカムフラージュの技法が重なって現れています。またイギリスでも、画家のノーマン・ウィルキンソンがダズル迷彩を発明し、水面下に隠れた潜水艦から船を守るために使われました。敵として対象化されることを妨げるミリタリーカムフラージュは、環境に溶け込みながら空間の占有を目指します。

《ヒョウのジャケット》
Maker: ルイ・ギンゴット

《280mm砲》
Maker: アンドレ・マーレ

《ダズルカムフラージュ》
Maker: ノーマン・ウィルキンソン

《カムフラージュする女性予備隊》
Maker: 西部新聞組合

《ERDLカムフラージュ》
Maker: 米陸軍技術研究開発研究所

《スナイパー達》
Maker: 米陸軍技術研究開発研究所

《沢》
Maker: ギュスターブ・クールベ

《サイヨン峡谷》
Maker: ギュスターブ・クールベ

《サイヨン峡谷の巨人の頭》
Maker: 沢の浸食作用

《梅田スカイビル》
Maker: 原広司


Section 03 【生物のカムフラージュ:隠す/見せる/見間違わせる機能】

約5億年前のカンブリア紀に生物は眼と有性生殖のしくみを発展させました。それ以後、外見は生物の存続に重要な要素となりました。敵や獲物から隠れること、獲物や生殖相手を見つけること、生殖相手に見つけられることという矛盾するような条件が種の存続に必要となったのです。生物のカムフラージュは淘汰の長い積み重ねの結果です。枯葉にそっくりなムラサキシャチホコは枯葉を意図的に表象しているわけではありません。たまたま枯葉に似ている蛾が生き残っていったのです。そういう意味では、私たちの肌の色は大地を覆う関東ロームの色を意図せずに擬態していると言えるかもしれません。
自然界に生じる外見の類似は、隠れるためだけではなく、目立たせた上で見間違いを生じさせるために機能することがあります。たとえばハナカマキリは花に似ています。花はもともと、生殖を助けてくれる昆虫に見つけてもらうために目立つ外見を発達させてきたものです。ハナカマキリを花だと見間違った昆虫がその餌食となってしまうのです。また、色鮮やかなマンドリルの鼻は男性器を擬態し、ゲラダヒヒの特徴的な胸は女性器を擬態することで、生殖に役立っていると考えられています。人間の女性の乳房もそうした性的自己擬態の一種で尻を擬態しているという解釈もあります。
「コラージュ」のように、額縁をつかわずに印刷物を直接壁に貼って展示する「ピンナップ」と呼ばれる習慣が大衆文化の中で生まれました。1950年代を代表するピンナップガールであるベティ・ページ(1923 – 2008)の身体の表皮を覆うヒョウ柄プリントのビキニは、生殖をめぐる隠す/見せる/見間違わせるという複雑な視覚戦略が表れています。小さな布にプリントされた、もともとは草むらに隠れる機能を持っていたヒョウ柄は、性的自己擬態としての乳房を隠すと同時に目立たせています。こうした強い衝撃を与える露出度の高い形のファッションは、ビキニ環礁での原爆実験から「ビキニ」という名で呼ばれています。

《網点印刷されたヒョウ》
Maker: 株式会社アクセア

《シマウマの群れの写真》
Maker: ミカエル・ムワカルンドワ/Nikon D7500

《ムラサキシャチホコ》
Maker: 捕食者

《ハナカマキリ》
Maker: 被食者

《キノハダカマキリ》
Maker: 被食者

《オカモトトゲエダシャク》
Maker: 捕食者

《アカカギバメダマヤママユ》
Maker: 捕食者

《エカキムシ》
Maker:ハモグリバエ

《ゲラダヒヒ》
Maker: 突然変異/オスによる選択

《マンドリル》
Maker: 突然変異/メスによる選択

《ピンナップされたベティ・ページ》
Maker: バニー・イェーガー/ベティ・ページ

《私のニューヨーク》
Maker: ジャン・ホァン

《筋肉がプリントされたワンピース》
Maker: KOSEYA

《目が描かれたまぶた》
Maker: レディ・ガガ

《関東ローム》
Maker: 偏西風など

《関東造盆地運動》
Maker: プレートテクトニクスなど

《アイビー》
Maker: 日光など


開催概要

会期
2022.6.27(月)~7.18(月・祝)火・水曜休

開場時間
12:00~18:00(7.17のみ13:00~)

会場
長房町の住宅街に面した森
193-0824 東京都八王子市長房町138
・西八王子駅から徒歩18分
・富士森高校(バス停)から徒歩3分

上記の住所の民有地から入場し、入口正面にある階段を登って森の会場へお進みください(入口には「General Museum」の看板)。住宅街ですので、ご来場時はお静かにお願いいたします。開場時間(12-18時)以外の立ち入りは固くお断りします。


出展アーティスト・事物


アイビー|Ivy
関東造盆地運動|Kanto basin-forming movement
シマウマ|Zebra
ジョルジュ・ブラック|Georges Braque
パブロ・ピカソ|Pablo Picasso
葉潜り蝿|Agromyzidae
迷彩|Military camouflage
ほか|etc.

ツアーリーフレットPDF→
Document

関連イベント1
アーティスト・トーク&ディスカッション
《「dis/cover」を巡って》

日時|2022年7月10日(日)14:00-16:00
会場|展覧会会場
出演|井出賢嗣、神谷絢栄、阪口智章、アート・ユーザー・カンファレンス

[関連イベント2]
ジェネラル・ミュージアム ツアー&カンファレンス3
《ミュージアムの発見(コラージュ、カムフラージュ、dis/cover)》

日時|2022年7月17日(日)11:00-15:00
会場|長房町の住宅街に面した森、及び周辺の古墳や商店など
出演|佐塚真啓、冨樫達彦、中島水緒、張 小船


主催|ジェネラル・ミュージアム、アート・ユーザー・カンファレンス
協力|NPO法人AKITEN
助成|公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京


ジェネラル・ミュージアムについて

ジェネラル・ミュージアムは、建物も耐久素材もない野外環境で、あらたな公共圏=ミュージアムを構想、実践するプロジェクトです。ホワイトキューブのように閉じた場ではなく、多層的な環境に開かれたジェネラル(総合的)な場としてのミュージアムを実践していきます。様々なリサーチやカンファレンスを経て、この度、東京での最初の展覧会を多摩地域の住宅街に面した森で開催します。
本展覧会は、コレクション展『コラージュ・カムフラージュ』と企画展『dis/cover』の二つの展覧会が、森のなかに重なるかたちで構成されます。また、周辺の団地や商店、古墳、地質、動植物の生態など、多層的な環境を展覧会の一部として捉え、郊外の森に総合的な観点から光をあてていきます。


例えばニューヨークのメトロポリタン・ミュージアムには、絵画や彫刻をはじめ、家具、衣服、武器、食器といったあらゆる物が収集されている。だがそこには、石を割っただけの石器はあるが、自然に割れた石は収集されていない。アートミュージアムの対象はあくまで人工物であり、自然物は自然史博物館の対象となる。つまり、近代のアートミュージアムは、人工物と自然物という二項対立を前提とした制度だと言える。

しかし現実には、自然物ではない人工物は存在しない。黒曜石の鋭い石器は人間の割る行為によってだけでなく、黒曜石のアモルファスな分子配列があってこそ生み出される。紙や布は植物の合成した丈夫な繊維が生み、コンクリートはサンゴや有孔虫の外骨格だった炭酸カルシウムを再利用している。すべての物は、人為的で一面的な作業から創造されるのではなく、自然の多層的な作用から出来ている。作者が自身の作品について関わっているのは局所的な表面のみなのだ。そういう意味で、人工物として作品を作るということは、多層的な自然を人工物という表面で覆い隠すことだと言える。絵画は絵の具で布や壁を覆い隠し、建築は木材やコンクリートで地面を覆い隠す。人工物という観念的なラベルは、物の複雑な形成過程を隠してしまう。

近代のミュージアムに対して、あたらしいジェネラル・ミュージアムは、人工物/自然物といった分割を廃し、総合的、多層的に世界を扱う。そこで展示されるものは、世界の多層性を覆い隠す不透明なものではなく、コラージュのように多層的な環境につながり、呼応し、それを顕在化させるようなものだ。