Site

River
  • Intension
    水流、連続した場所、高低差
  • Extension
    1級河川、沢、農業用水、河原、中洲

(かわ)は、が流れる細長い地形である。として落ちたり地下から湧いたりして地表に存在する水は、重力によってより低い場所へとたどって下っていく。それがつながって細い線状になったものが川である。河川(かせん)ともいう。時期により水の流れない場合があるものもあるが、それも含めて川と呼ばれる。

Example

『泥の河』の宿船
Houseboat on ”Muddy River”

Site:宿船|文学
Generator :宮本輝
Date:1977

戦後間もない大阪の安治川河口に一隻の宿船が停泊した。それは幼い姉弟、喜一と銀子が暮らす家であり、その母が身を売る売春宿だった。

第一回観光芸術展

Site:多摩川河畔
Generator:観光芸術研究所(中村宏、立石紘一)
Date:1964.3.30

日野市中央線高架下付近の多摩川河川敷で行われた一日限りの野外展。立石紘一はネオン富士や星型彫刻を展示。中村宏は機関車の模型や頭蓋骨をのせた井戸ポンプを設置。川原の砂利や草地がグランドキャニオンに見立てられるなど、全体がパノラマを形成するよう意図された。

石と数字

Site:多摩川上流、河原
Generator:高松次郎
Date:1969

河原で自然石に1以下の少数を書き込んでいく。無観客で行われた。

Hole

Site:長良川河畔|岐阜県
Generator:グループ〈位〉
Date:1965

1965年、神戸在住の作家たちが「非人称」の視点から世界や存在を認識することを理念としてグループ〈位〉を結成。当初のメンバーは、井上治幸、奥田善巳、河口龍夫、武内博州、豊原康雄、中田誠、向井孟、村上雅美、良田務の9名。「位」というグループ名は、単位、位置、位相といった言葉にかけて名付けられた。当時隆盛を極めていた具体美術協会の個性礼讃とは対照的に、グループ位では作品は作者の個性の表現であるという近代的芸術観への批判的意識が共有された。その活動の核となったのは、「複数の中の私達一人一人が単位」という考えから個人や物体を等価なものとみなす「非人称」の思想である。この思想を実践すべく、メンバーは個人を無化して全員の意志をひとつに結集させた集団制作、パフォーマンスなどを積極的に行った。たとえば、65年の「アンデパンダン・アート・フェスティバル」では、灼熱の太陽のもとメンバー全員で長良川河畔に巨大な穴を掘り、同年の「非人称展」ではメンバー全員で考案した同一内容の抽象絵画を制作者名のキャプションを入れ替えて展示し、67年の「神戸カー二バル」では全身を布で覆い隠した「非人称人間」としてパレードに参加した。「非人称」の思想は次第に物質を離れて概念芸術に接近し、74年には構想に6年かけたエッセイ集『存在』の刊行によって言語による表現へと結実した。グループは2000年代以降も活動を続けており、2004年には兵庫県立美術館の小企画展にて参加型作品を発表した。集団で活動した前衛美術のグループとして、1970年代に活躍したJAPAN KOBE ZEROや鳥取のスペース・プランの先駆と評されることがある。

現代美術の流れ
Current of Contemporary Art

Site:川|宇治川、淀川、大川、中之島ほか
Generator:プレイ(THE PLAY)
Date:1969.7.20

プレイの代表作品。発砲スチロールで出来た矢印型の筏で川を下る。宇治川塔之島付近(京都)を8時40分に出発し、淀川、大川を経て中之島東端(大阪)へ20時50分に到着。2011年、42年の月日を経て再び同プロジェクトが再開。時間的なブランクをものともせずイカダはかつての到着点からその続きを流れ、7kmほど海に迫った。メンバーの池水慶一いわく、「何年も間が空いても気にならないので、このまま、肉体が滅ぶまで、プレイであり続けるような気がする」。