Site

Wall
  • Intension
    空間を遮る建築物、侵入を防ぐ面
  • Extension
    塀、バリケード、ファサード

(かべ、: wall)とは、家の四方を囲うもの、または室と室の隔てとなるもの[1]、建物の仕切りとなる平板状の部分[2]。広義には屋外で領域を区切るための「」も含む。

  • 垂直の壁は身体や視線を遮る一方、そこに絵が描かれることで視覚的な表象を担う場所となった。

Example

マーキング
Marking

Site:壁|柱|木
Generator:犬
Date:Prehistory -

テリトリーや自分の存在を示すため、オス犬は片足をあげてなるべく高い位置に尿をかける。

傾いた弧
Tilted Arc

Site:フォーリー連邦広場、マンハッタン。
Generator:リチャード・セラ
Date:1981

建築の壁はテリトリー争いが具現化したものでもある。建築費の一部を使って建築前の広場に設置される「パブリックアート」はそうした建築の暴力性から目をそらさせる役割を担っている。 《傾いた弧》は建築前に「開かれた広場」を遮断する壁となり、敷地の傾斜がとどめている場所の歴史へ目を向けさせる。

ヨルダン川西岸地区の分離壁
Israeli West Bank barrier

Site:ヨルダン川西岸地区
Generator:イスラエル
Date:1994-

イスラエルがヨルダン川西岸地区との境界のすぐ外側に建設中の分離壁。イスラエルは分離壁の建設を自爆テロ防止のためと説明している。一方、分離壁のルートはユダヤ人入植地を囲むために1949年の停戦ラインより内側に入り込んでおり、ユダヤ人入植地を恒久的な領土とするための既成事実化を目論んでいるとも言われている。さらに、分離壁がパレスチナ人の生活を分断していることから、分離壁の建設は国際的に不当な差別であると非難されており、国連総会でも建設に対する非難決議がなされている。多数の侵入者を射殺している自動砲塔は非人道的なAI兵器の典型として国際的に物議を醸している。

ベルリンの壁
Berlin Wall

Site:西ベルリンと東ドイツの分割境界線上
Generator:東西冷戦
Date:1961-1989

ソ連と東ドイツは1961年8月13日に突如、東西ベルリン間48キロを含む西ベルリンと東ドイツとが接する分割境界線155キロあまりの通行を一切遮断し、西ベルリン周囲の境界線から少し東ドイツ領内に入った地点に有刺鉄線を張りめぐらせ、その後に巨大な壁を建設した。