キリストの墓:聖墳墓教会

The Tomb of Christ: Church of the Holy Sepulchre
  • Maker
    コンスタンティヌス1世、十字軍、ニコラオス・CH・コムネノス
  • Date
    335
  • Medium
    石灰岩、十字架
  • Location
    Via Dolorosa, Old City, Jerusalem, Israel

様々な人がエルサレムを巡礼し、インスタグラムには無数の写真がアップロードされている。そうした無数のエルサレムの映像は、世界中の無数の液晶モニターに映し出されことになる。映像の数だけイスラエルは存在し、分裂していく無数のグノーシス(認識)こそが、エルサレムの実体そのものなのだ。

そこは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、それぞれの聖地であり、パレスチナ、イスラエル、それぞれの首都でもある。そこでは、ひとつの場所が無数の解釈へ崩壊し、異なる解釈どうしの衝突が無数の壁となって街を形作っている。カナン、イスラエル、新バビロニア、ローマ帝国、イスラム帝国、十字軍、オスマン帝国、イギリス帝国などが歴史的に堆積し、モーゼの石板が収められた石灰岩の上で、ムハンマドは昇天し、ユダヤのイスラエル神殿跡はイスラムの岩のドームで覆われている。9000年前、その石灰岩から最古のコンクリートが発明された。嘆きの壁から、パレスチナ自治区を分離する壁まで、そこではすべての壁はテリトリー争いと結びつき、建築というものの暴力的な本性が露わになっている。そうした壁に、たくさんのフレスコ画、近代絵画、グラフィティが付着している。

326年、ローマ帝国の皇后ヘレナは、ヴィーナス神殿の下から十字架を発掘する。その場所は聖墳墓教会で覆われることなる。教会の中のゴルゴダの丘の下にはアダムの墓があり、十字架は、アダムの口から生えた木で作られている。それは命の木の種から生えたものであり、その木材が、ある時はノアの箱船となり、またある時はモーゼの杖となり、やがて十字架となったのだ。

時間の働きは否応なく場所や物の意味を変化させ、それを歴史的な多義性へと崩壊させていく。そこが一体どこなのか、それが一体何なのか、問うたびに少しずつ、その同一性は失われていくのだ。同じ神の言葉が、ユダヤ教的解釈、キリスト教的解釈、イスラム教的解釈に分裂してしまったのは時間の必然性なのだろう。旧約聖書によれば、神は、すべての国で同じ言葉を使っていた人々が互いに相手の言葉を理解できなくなるようにと言葉を乱された。世界の統一を目指すバベルの塔はつねに、神の意志であるエントロピーの法則によって崩れ去ってしまう。

液晶モニターの上に約束の地が実在しているのは、気の遠くなるような長い歴史が絡み合った奇跡なのだろうか。バックライトのLEDの中で、窒化インジウムガリウムから飛び出した光子は、太陽が生まれるはるか以前の超新星爆発によって生まれて地球に流れ着いたユウロピウムに衝突し、石灰岩でできたエルサレム姿を網膜の上に生み出している。