三内霊園

The Sannai Cemetery
  • Maker
    日本国、青森市
  • Date
    1942–
  • Medium
    花崗岩、骨、土
  • Location
    青森県青森市 三内沢部353

死者の霊など迷信だと思っていても、お墓の前に立つ時、私たちはそこに霊がいるかのようにふるまう。そこでは少なくともお墓の慣習的な意味が信じられているのだ。物理的な事実を信じることと文化的な意味を信じることとの間には不思議な距離がある。文字に意味が宿っていることや、紙幣に価値が宿っているのは、物理的な事実のように当然のこととして感じられる。しかし見慣れない外国の文字や紙幣を出会うと、そうした迷信は薄れ、私たちは啓蒙される。文化的な慣習無しには、文字の意味も紙幣の価値も存在しないことが実感されるのだ。

《三内霊園》は1942年に運用が開始され、戦後の近代化に対応してきた公園墓地だ。そこは行政が運営する公園であり、宗教に依存せず、個人の死生観に則ってお墓をつくることができる。近代の啓蒙プロジェクトは、宗教的、慣習的な迷信を取り払い、物理的な事実をベースに世界を合理的に認識しようという試みてきた。しかし合理的な人間にとって「死」とはなんだろうか。近代の合理主義的な制度は、「死」を単に不合理なものとして排除する傾向を持っている。私たち個人もまた、誰かの死に帳面すると、合理的な思考を停止させ、伝統的な慣習と宗教的な権威に漠然と従う傾向にある。

園内には、青森空襲の犠牲者の霊を供養する「平和の鐘」が設置されている。1945年の7月28日、青森市街は空襲を受け、焼夷弾によって700人以上の市民が亡くなっている。国家権力が宗教と結びつき、死の意味を積極的に規定して利用した時代を経て、いまや私たちは政治と宗教が分離された時代にいる。そして、宗教と科学がお互いを批判していた時代は過ぎ去り、いまでは、ふたつの領域は違う世界のことのように住み分けられている。私たちは火星探査機から送られてくる映像に驚きながら、お墓の前で天国の死者に思いをはせたりするのだ。

三内霊園から南東へ向かって歩くと、連続した空間が制度的に分割された様子が体感できるだろう。三内丸山遺跡では縄文時代へタイムトリップし、自衛隊青森駐屯地では日本の領土に引き戻され、青森県立美術館では自分の居場所を忘れることができる。