キリストの墓:新郷村

The Tomb of Christ: Shingo Village
  • Maker
    戸谷蕃山、竹内巨麿
  • Date
    1935
  • Medium
    塚、十字架、言語
  • Location
    青森県三戸郡新郷村戸来野月33-1

1935年8月、アーティストの鳥谷幡山に招かれて戸来村を訪れた竹内巨磨は、二つならんだ塚を前にして、「ここだ、ここだ」と断言した。イエス・キリストとその弟イスキリが眠る墓が発見されたのだ。十字架に架けられて死んだのは身代わりとなった弟イスキリであり、生き延びたイエスは青森にやってきていたのだ。イエスは十来太郎天空と名を変え、106歳まで生きてここに埋葬されたという。新郷村のキリストの墓を前にした時、多くの人は、それが本当なのか懐疑の心を抱くだろう。

双子と呼ばれるトマスは、墓で眠るはずのイエスが現れたという話が信じられなかった。しかし、彼の前に現れたイエスは、自分の脇腹の傷穴に彼の手を入れさせて言われた。「見ないで信じる人は、幸いである。」

その脇腹の傷穴は、ロンギノスがイエスの死を確かめるために突き刺さしたものだった。そのことでロンギノスは視力を失い、代わりに信仰を得たのだ。

326年、ローマの皇后ヘレナは、キリストが磔になった十字架を発見しようとしていた。地中から掘り出された3本の十字架のうち、どれが本物の聖なる十字架なのか確かめる必要があったのだ。ロカーチの三人の患者はそれぞれ、自分が本物のキリストであることを主張していた。 ニケーア公会議とコンスタンティノープル公会議を経て結局、3つの人格は物質的な実体としては同じものであるという三位一体説が正しいことが確認され、他の諸説は異端とされることとなった。

新郷村の2つのキリストの墓は、合わせ鏡のように互いを反映し、信仰の対象を増殖させていく。信仰の対象としてのキリストの定義が、人々の罪を背負い十字架に架けられた人物であるとすれば、本当のキリストはイエスかイスキリかどちらなのだろうか。本当のキリストの墓はイスラエルか青森のどちらなのだろうか。そして鏡の墓は最終的に、本物がひとつであると信じること、その同一性への誘惑を崩壊させるのだ。双子のトマスの姿を借りてインドへ向かったイエスはゾロアスター教の神々すべてと合体し、日本の人々に信仰の民主化を説かれ、権力闘争のみによって排除されたすべての異端を祝福なされた。

毎年6月の新郷村のキリスト祭では、キリストの墓で「ナニャドヤラ」と呼ばれる踊りが披露される。「ナニャドヤラーナニャドナサレーノナニャドヤラー」と繰り返されるその歌詞がもともと何を意味していたのか、覚えている人はいない。その言葉はひとつの正統な意味は失ったが、代わりに、多くことを意味している。ヘブライ語であり日本語でもある。「何なりともせよかし」という恋の歌であり。「何やらどうなっているのかさっぱり分からない」という政治に対する不満でもある。そしてそれは、名前に保障された言語と存在の同一性を捨てるようにと呼びかけている。つまり次のようなことを歌っている。「名などくれてやろう。名など。ナザレの名などくれてやろう。」