ここへいけ
あなたのいるここから、そこがみえます。
何だかそこは素晴らしいところにみえる。だからあなたはそこにいきたくなりました。ここからみえるということは、そことここはつながっていて、わたしがいくことのできる場所であるにちがいない。
「そこにいきたいな。よし、いってみよう」。そうしてあなたは歩き出します。到着。
だがしかし、ここからそこにいってみると、そこはなぜかここになっていて、もはやそこではなくなってしまっている。どうみても、いきたかったそこと、現にいって現われたこことは別ものです。
あなたは何を欲していたのでしょうか? あなたが「ここからそこへいきたい」と欲していたのは、もっと正確に言うとどういうことなのか?
ここをそこに連れていかずに、ここはここに置いたまま、そことしてのそこにいきたい。つまり、ここになり変わってしまう手前のそこへ、わたしはいきたかったのです。
あるいは、「いきたい」と欲されていたそこは実体的な場所ではなく、ここからそこまでの距たりそのものであり、水平的な拡がりも有している最奥ないしは最遠への突き抜け、その遥かさのほうだったのかもしれません。
しかしどうやっても、ここを置き去りにすることはできません。
というより、「ここを置き去りにする」ということがどういう状態を指すのか、欲しているあなた自身にとってもまるでわからないはずです。想像しようにも想像の仕方がわからない。
他方であなたは、あなたがどこかに向かえば、そのどこかは必ずここになるということをあらかじめ知ってもいたはずです。いまも現にここにいて、現にいないどこかにいつかいったとしても、あなたは何ひとつ変わらずここにいるだろうということを。
つまりこのわたしには、始終ここしかないのです。
ですから、そこにいくことは一旦諦めましょう。妥協案として次善の策として、ここからここにいくことを試みましよう。いつでもどこでもつねにすでにここなのですし、あなたが現にいったことがあるのはここだけなのですから、ここからここへいくことなど容易いはずです。
「ここにいるからそこがみえる」と他と関係づけずに、いかなるそこをも想定せずに、未規定などこかを「どこか」と規定してしまうことなく、ただのここからここへの移行を観察してみましょう。
ここからここへの移行は、移行していない(静止している)とも言えるので、空間的には感知できず、感知しようとするともっぱら時間のほうがフォーカスされてしまうのではないか、と思うかもしれません(時間の「いまからいまへの移行」もそれ自体で取り出そうとすると極めて奇妙な様態を現わします)。
ですから、取り出すための何かしらの操作が必要になります。
あなたがいつもやっていると思い込んでいて実はやっていない「ここからそこへいき、そこからここにもどる」ではなく、いつもやっているとは思ってもみないが実はやっているかもしれない「ここから〈ここにいながらここにいない〉にいき、ここへもどる」というプロセスを想定することが、打開のヒントになりそうです。
(※上記のテキストをとりあえずの指示書として試行し、ここからここへいく術を開発してください。無理だとわかっていても、往生際の悪いわたしは、最終的には「ここからそこへいく」ないし「ここからどこかへいく」ことを志向したいです。)
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Organizer:高嶋晋一
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