Practices

美術館で詩をつくる

Making Poems at a Museum
Adrian Scottow from London, England, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons
Adrian Scottow from London, England, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons

美術館の収蔵品に添えられたキャプションやパネルの言葉を書きとり、その場で短い詩をつくる。
たまたま居合わせた来場者は、詩作の様子を見学することができる。
完成した詩は、対面で佐藤または原口に出会った人が要望する場合のみ公開する。

Site

東京都内の美術館 常設展示室

Generator/Organizer

佐藤史治と原口寛子

Date

2023年6月30日(金)–7月31日(月)の内、休館日をのぞく数日

Access

施設名は非公開|期間中予告なしでの実施

Document

◼️本作について

「美術館で詩をつくる」は、美術館のコレクション展に掲示されたキャプションやパネルの言葉を書きとり、その場で短い詩をつくる実践である。言葉を収集し、再構成することで、美術館ごとに特有の語り口や表現の特徴が浮かび上がる。また、ある特定の作品から引き離された言葉同士が共鳴し合い、コレクション展そのものを語る散文詩が生まれるかもしれない。また、これは作品を価値づける美術館を怪しむことであり、相手の言葉を使用するアプロプリエーションの試みである。
博物館法の定義によると、博物館とは「資料を収集し、保管し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供」する機関だ。博物館のひとつである美術館も、その多くは作品収集に関する方針(コレクション・ポリシー)を定めており、読むとその美術館がどのような使命のもとに作品を収集し、評価を試みているかを知ることができる。よってコレクション展とは、収集した作品を用いて作られた展覧会であり、その美術館のミッションと解釈を広く一般に示す機会であると言えよう。
展覧会のキャプションには、作品の制作技法や背景の説明、アーティストの言葉の引用が記載されることが多い。一方で、鑑賞のガイドとなるような記述もしばしば見られる。その作品には何が描かれ/映されているのか。アーティストは何を考えていたのか。そこから観客は何を捉え、読みとることができるのか……。執筆者は美術館に所属する学芸員だが、その主語は「私たち」であることが多い。しかし、この言葉で括られている「私たち」とは誰を指しているのだろうか。そして作品について語るために用いられる比喩やレトリック(たとえば「泡立つように無数の個人が」*といった表現)は、どのような作品理解を「私たち」に促しているのだろうか。
美術館は、作品を選定し、評価する力をもつという面で、美術に携わる多くの人々にとって特権的な場所である。そして、多くの美術館は公的なインスティテュートでもある。にもかかわらず、そこで掲示されるテキストには、時に執筆者個人の「癖」が響く。この表現は美術館独特の話法と言えるのではなかろうか。
掲示されているテキストを読み、抜き出し、詩にする。「場所の発掘_Some Practices」では、期間中3つの美術館のコレクション展を訪問し、3つの「ミュージアム・ポエム」を制作した。なお、制作にあたっては、大岡信の連詩や山口誓子のモンタージュ技法、具体詩の実践などを参照し、事前に試作も行なった。

(​​*東京国立近代美術館 所蔵品ギャラリー「1室 ひらけ近代」解説パネル参照)

実施にあたり、事前に下記のルールを設けた。

・原則、展示会場の順路に従って鑑賞して言葉を書きとる
・書きとったテキストの並びは順路に従う
・作品や展覧会に関するパネルやキャプション以外の言葉は書きとらない
(例:撮影やお手触れ禁止のサインなど)
・アーティストの言葉の引用は書きとらない

◼️実践の記録

7月2日、8日
東京国立近代美術館 所蔵品ギャラリー

本展は1890年代から2010年代にかけて制作された作品を、13室にわたって年代順に紹介するものである。ホームページによると、今年は関東大震災と大辻清司の生誕から100年であることから、3室「関東大震災から100年 被災と復興」および4室「関東大震災から100年 社会のひずみ」、7室「「実験」と「共同」 生誕100年大辻清司(1)」および8室「「具体」と「物質」 生誕100年大辻清司(2)」が見どころである。
キャプションは各室ごとに掲示されており、その語り口から、年代や潮流、専門ごとに執筆者が異なるように見受けられた。なかでも戦前と戦時中の作品を紹介する1室から6室にかけては、時代背景とアーティストを取り巻く状況を、比喩を多く取り入れて記述している。これに対して、7室と8室はアーティストの発言や美術の動向を中心とした記述が多くを占めていた。また、11室から13室にかけては執筆者による作品分析が多く、鑑賞のガイドとなるようなキャプションが続いた。「です・ます」調で、「〜でしょう」と締めくくるなど、観客に語りかけるような柔らかい文体であり、解説キャプションによる鑑賞教育が意図されているようだ。
作品点数が多く空間も広大であることから、2日間に分けて言葉を書きとり、終了後は4階「眺めのよい部屋」で詩に用いる言葉を精査する作業を行った。詩作にあたっては、比喩表現が少ない7室と8室の引用が少ない結果となった。

7月15日
町田市立国際版画美術館 常設展示「大正・昭和初期の東京風景 織田一磨を中心に」

本展は1923年の関東大震災によって一変した東京の景色の変遷を、織田一磨をはじめとしたアーティストの版画作品を通して紹介するものである。展示作品は46点あり、5点から10点ごとに解説キャプションが設置されていた。前回と比べキャプション点数が減少したことから書きとる言葉が少なくなり、結果として完成した詩も短くなった。
実施にあたっては東京の風景を形容する表現を中心に書きとり、作業終了後は展示室中央に設置された椅子に座って互いのメモを見せ合いながら、言葉の精査をした。制作年順の展示が反映され、東京の震災と復興の景色をめぐる詩となった。

7月26日
東京都現代美術館 コレクション展示室「被膜虚実」「生誕100年 サム・フランシス」「横尾忠則—水のように」

東京都現代美術館コレクション展示室では、1階を「被膜虚実」、3階を特集展「生誕100年 サム・フランシス」、「横尾忠則—水のように」と題し、3つの展覧会が開催されていた。
「被膜虚実」は三上晴子の新収蔵作品を起点に、1980年代末以降に制作された作品で構成した展覧会である。アーティスト2〜3人ごとに解説キャプションが設置されており、制作背景やアーティストの言葉の紹介に加え、作品から受ける印象や分析が記述されていた。カッコの多用や独特の修辞、比喩表現が多く、その「癖」をもとに執筆の分担を予測することができた。
「生誕100年 サム・フランシス」「横尾忠則—水のように」は、サム・フランシスの大型絵画作品と、横尾忠則の絵画やグラフィック作品約70点のほか、横尾とゆかりのあるアーティストの収蔵作品も展示されている。解説キャプションでは、著名なアーティストである両者の作品と、それに向き合う「私たち」という構図のもと、作品の解説や印象について記述されていた。とくに横尾忠則展ではセクションごとに置かれた解説パネル5点のほか、個別の作品にも解説が付されており、文字量が非常に多い展示空間となっていた。横尾自身の発言を引用した箇所も多い。また、1960年代のグラフィックから近作の絵画に至るまで数多く登場する人物のモチーフに関して、チャーミングな「キャラクター」に見立てるような記述も複数見られた。
本展はキャプションが多数あり、比喩表現が非常に多いことから、鑑賞中は多くの言葉を書きとったものの、最終的には4分の1ほどに精査した。展示室の冷房によって2人とも体調を崩してしまったため、場所を移して作業を行った。

Porject
Porject
Excavation of Site_Some Practices

場所の発掘_Some Practices

A new form of Platform_Thinking through art and technology
2023.6.30–7.31